看護実習中、患者さんとの会話が続かず、気まずい沈黙に耐えられなくなった経験はありませんか?「何か話さなきゃ」と焦るあまり、毎日天気の話ばかりで、結局何もできなかったと落ち込む……。今回はそんな私の学生時代の苦い経験が、実は患者さんの心を支えていたと知った時のエピソードをお話しします。
患者背景と実習場面

成人看護学の実習で私が担当したのは、50代後半のAさんでした。独身でバリバリのキャリアウーマンだったAさんは、強皮症という膠原病の診断を受け、ステロイド治療のために入院していました。
当時のAさんは病状も初期で、ADLは完全に自立。看護学生がよく担当させてもらう「洗髪」や「清拭」といったケアの必要性がなく、採血データが良い日には「仕事の引き継ぎがあるから」と数時間外出されるほど。実習生としての「出番」がないと感じていた私は、とにかく焦っていました。ケアという介入手段がない以上、コミュニケーションで関わるしかありません。しかし、Aさんは言葉数も少なく、まだ実習に慣れていない私にとっては、声をかけるだけでも非常に緊張を要する存在でした。
ベッドサイドへ行っても会話が続かず、沈黙に耐えきれなくなって「何か話さなきゃ」と絞り出せるのも、天気の話程度。気まずい空気が流れるのが怖くて、用件が終わると逃げるように記録室へ戻る日々でした。「こんなに話してくれないのに、なぜ学生を受け入れてくれたんだろう」という疑問でした。実習期間、疾患についての理解は深まったものの、Aさんに対しては何も理解できなかったという無力感のまま、実習は終了しました。
振り返りー 今ならどうするか

それから半年後、別の実習で患者さんの付き添いとして透析室を訪れた時のことです。透析室の看護師から「Aさんが、呼んでいますよ」と声をかけられました。
驚いて視線を向けた先にいたのは、私が担当していた頃よりも痩せ、透析の準備のために横たわっているAさんでした。私の姿に気づいたAさんが、看護師に「以前、私を担当してくれた学生さんだ」と伝えてくださったのです。別の実習中ということもあり、声をかけて良いものか迷いましたが、看護師さんに促されてベッドサイドへ向かいました。
以前の凛とした雰囲気はそのままのAさんが、か細い声で私にこう言いました。
「あなたに実習で担当してもらえて本当によかった。病気で心細い気持ちを支えてもらえた。ありがとう。」
この言葉を聞き、私は驚きました。私にとっては「会話も弾まず、何もできなかったと反省ばかりの実習」でした。しかし、Aさんにとっては、不器用ながらも毎日顔を見せに来る学生の存在そのものが、孤独な療養生活の中での支えになっていたのです。
今なら、無理に言葉で埋めようとせず、沈黙そのものを受け入れ、ただそばにいることに価値があることもわかります。相手を知ろうとし、向き合うことや空間を共にすることも大事な看護だと。
学びとまとめ

実習中は、どうしても「看護計画を立てること」や「目に見える成果を出すこと」「たくさん患者さんとコミュニケーションをとること」に意識が向きがちです。コミュニケーションは言語によるものだけではありません。表情、頷き、あるいは「そばに居続ける」という姿勢そのものが、強力な非言語的コミュニケーションとして患者さんに伝わります。無理に喋らなくてもいい。患者さんの今の状態を理解しようとしながら必死に寄り添おうとする学生の存在は、実は患者さんにとって私たち看護師では満たせないものを満たせるのです。「沈黙」は時には重要なコミュニケーションです。この経験は、技術や知識以上に大切な「看護の原点」を教えてくれたと感じています。



