
日本人女性として初めての○○!というと、苦難の時代に女性のその道を切り開いた方として大変だったと思います。例えば、日本で初めての女性天皇である推古天皇、女性で初めての国民栄養賞をもらった美空ひばりさんなどが有名です。最近ではNHKの朝ドラ「虎に翼」で伊藤沙莉さんが演じた猪爪寅子は、日本で初めて女性として弁護士、判事、裁判所長を務めた三淵嘉子さんがモデルになっています。
本記事では、日本で初めての女性看護師といわれている大関 和(おおぜき ちか)さんについて紹介します。(実は、2026年のNHKの朝ドラ「風、薫る」では大関和さんがモデルとなる予定です。)

大関 和さんは、1858年に生まれ19歳で結婚し、2人の子供をもうけました。その後、離婚をしてシングルマザーとして英語の通訳や英語講師として働いていましたが、世界初の看護学校であるナイチンゲール看護学校をモデルとした桜井女学校付属看護婦養成所(現在の女子学院)に1期生として入学・卒業をしました。
卒業後、大関 和さんは第一医院(現在の東京大学医学部附属病院)で外科の看護師長として従事していましたが、看護師たちの労働環境や待遇の改善を意見して、医師たちとの軋轢を生み、退職することになりました。

その後、新潟県の病院で初代看護婦長を務めて、当時流行していた赤痢の感染症対策を行い、劇的な効果を上げました。そしてその効果を聞きつけ、日本各地から防疫の依頼が殺到し、大関 和さんは看護師たちを率いて対策に向かいました。
さらに、看護婦養成所で同じ1期生でシングルマザーだった鈴木雅と一緒に日本で初めての個人経営の派出看護婦会を設立して、看護師が病院や病院人(病人のこと?)のいる家庭に行ける体制を整えました。その後、関東大震災における救護活動を最後に、看護師を引退して、1932年の74歳でこの世を去りました。
大関 和さんは、貧しい方々に対して感染症対策を行い、衛生の重要性を伝えて看護師という職業の確立に大きく貢献しました。